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  • 執筆者の写真wimp

帰省

全くどうしても、作品の制作の見通しが時間的にもサイズ的にもたたなくて、バイトを辞めて実家に2ヶ月ほど戻ることにした。


地元の甲賀市にこんなに滞在するのは、思えば中学生ぶりになる。

少しステートメントの文章でもかいたけれど、ああ地元はこんなにも太陽の光が強かったのだと思う。


一度パートナーと年末に帰省した際に、アルバムをみてほとんどの写真が顰めっ面なので、2人でそれを見て笑っていたのだけれど、どうやら今一か月も超えて滞在してみると、ここは本当に東京より大分日差しが強いんだと実感する。

(別件で母方の祖父が写真好きで、散々ポージングをさせられて、大きいサイズで出力、それもテプラの名言付きというのがあって、あまり写真が好きではなくなったのもあるが)

私は30歳にしてやっと地元のことを知ろうとしている。とすると、東京のことを客観視して知ろうとする気持ちはまだまだ先のことになるかもしれないなとも思う。(ちょうど中島晴矢さんの著書を帰省前に読んでいた。)

よく考えると私の家には山があるのだが、どれが自分家の山がどこにあるのか知らないし、土地もどこかどうなのかこの度の帰省でやっと父から話を聞いたりした。車がないとどこにも行けないので、実家に滞在中は周辺をとぼとぼ散歩している。小学生の頃の自分と同じように。この山を抜けて、下にある河川敷で遊んでいたなと思ったけれど、大人になった今ではこれも「誰かの山」なんだと思い、入る気が引けた。幼い頃よりも何となく山を抜けることに怖さも感じた。

突然小さい頃の記憶を思い出してあれはどういったことだったんだろうと思って母に尋ねる。

「そういえば墓2つなかった?」

今はもうないけれど、二つあったで。片方が土葬。火の玉はメタンガスやでと教えてくれた。

やっぱり二つあった。幼い頃は気にしていなかったけれど、今大人になって墓が2つっておかしくないかと思い尋ねてみたのだ。寺に墓石タイプのいかにもな墓と、もう一つ道路を挟んだ土地にある墓は木の墓標というか、細い家みたいな感じで、遠野物語臭がする佇まいである。

その後もう少し気になって、調べてみるとどうやらサンマイという土着の風習らしい。サンマイについて書かれた本もあるみたいなので後日読んでみたいと思う。私はみていないけれど、姉や母は白装束をきてこの墓まで向かう野辺送りも経験しているらしかった。

あと、最寄りの駅から自分の家に帰る間の当時から既に寂れていた商店街の井戸があり、当時それがどうにも怖くて直視できなかった。今もその怖さの感覚が残っているので、1人ではまだみにいけてない。パートナーとまた一緒に帰省したらついてきてもらおうかなとも思うけど、自分の嫌な予感は割と当たる方なので行かない方がいいかもしれない。

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